私が体感した「人生の向かい風」と遺伝に貧乏!
人生の向かい風 昼間母親と昼飯を食ってたら亡くなった父親の愚痴を母が言い出しました・・・。
いわゆる「旦那の愚痴」というやつですね。私は今まで母の愚痴はまともに聞いたことはありませんでしたが、心境の変化もありしばらく聞いていました・。
母の夫の愚痴エピソード「20代中旬」
昔、長屋の1階で大掃除で畳を干してた時2階で長女(当時乳児3~4か月)泣いてたけど父親全く不動にてワイの飯のしたくをせいと知らん顔・。
兄弟生まれてから抱いたこと0回。
旅行0回
外食0回
夫の愚痴「30代前半」
母が体調が悪くなり1か月程入院、3兄弟の末っ子のワイ3歳くらいの「時母の実家へ1か月程預けられてたらしいです。」その間長男長女の面倒を見る為に父親の母親が1か月程我が家に滞在してたらしいです・。
その時に「姑が長男長女にこう言った」そうです・。お前らはぎょうきが悪い・・・。母親が行儀わるいからや・。それを聞いた小学生の長男が姑にこう言い返したそうです・。
「やかまし~!はよ帰れ!」
それを聞いた姑は父に伝え父はカンカンになり子供たちを叱ったようです・。でも子供たちは不満に思いその後、母の入院先の病院までその話を伝えに来たそうですが、それを聞いた母は今でも記憶にあり私に愚痴ってきたようです・。
ぐち続く・。退院してきた時に姑に顔を合わした時に、「いかいもん」はアホみたいやと言われたらしいです・。
いかい(デカい)
母身長160cmで、父も大差なかったのでしょう・。その姑の滞在中に偶然母の母(祖母)が、預けてた小さいワイを返しに来たらしいです・。
「ニアミス」したわけですが、どうもその時に私の父親が母の(祖母)母に何か毒づいたそうです・。まあ、姑が滞在中に末っ子が帰ってきたら姑に負担がかかるのが癇に障ったのでしょうか・。その後母方の祖母はすぐに帰ったようですが、家では父が帰宅すると別の部屋へ逃げ込んだそうです・。
私は母に何で結婚したんやと聞きました・?
母が22~3歳の時に結婚したらしいです・。祖父が年いった時の末っ子でその頃、祖父はすでに73歳くらだいったようです・。4兄弟で長男は養子に行って公務員、「次男」も公務員、3男は会社員で労働組合の委員長で人付き合いも良かったようです。
しかし、私の母は祖父が50代になった時の子で母は学生の頃も?友達はいなかったのか?友達なんかいらんと言ってましたので、何らかの障害があった可能性は極めて高く、コミュニケーション能力はないに等しいと思います・・・。
次男が家を継いだので母がその後無職で家にずっといる訳にもいかないので不満を抱えながら嫁にいったようです・。
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現代なら気にいる人がいないと結婚しない人は山のようにいますが、当時は中々そういう方の人が生きていくすべが、なかったのかもしれません・。独身を貫く場合、頼りは己だけです・。
やはり生まれながらに魅力能力のある方にはそ、れなりの方に縁が繋がりますが、生まれつきで、そうでもない方は時を逃すとそのままに時間は流れていきます・。縁があっても切れる場合もありますし、生涯を共に過ごせるかわ妥協と我慢くらべ・?
引きこもりに↓なった理由の記事書いた祖父との遺伝について考えました・。
過去に渡って調べるとやはり年いった時の子供は遺伝に影響を与えるのかもしれませんね・。祖父の兄弟は出来が良かったようですし・。母の兄弟でも3男の子供などは裁判所の速記官などで出来は良いようです。
アインシュタインの子息でも障害のある方がいたような記事をどこかで見ましたが、親が飛びぬけて良すぎても振り子のように平均に戻ろうとする遺伝の話を本だったかネットだったかで?見た記憶がありますが、結局その人持って生まれた運の要素は大きいですね。
「平均回帰の法則」か・。
一つのことを続けることで花開くこともあるのですが、まず続けられることが才能ですので、いかに自分の適性に合った方向に動くかで全く結果は変わるのではないでしょうか・?
母の愚痴はまだ続くんです。!
母の夫の愚痴70代
母が70代の時に住んでた地域の駅前でバスを待っていたら、父と偶然出くわしたらしいです。どうも父はパチンコしてて駅前のショッピングセンターに昼飯を食おうと思い通りがかったようです・。
父は母の姿に気が付いたのか、周りをウロウロしてから母に声もかけずにパチンコ屋へ戻ったそうです・。
「普通なら偶然おうたんやから一緒に飯でもと考えそうなのですが、どうも父は母と飯を食うと金が余分にかかるので母がバスに乗っていなくなった後一人でランチに行ったようでした・。」
それが母が父が亡くなってから10年近くたっても恨みを忘れないのですから、食べ物の恨みはおそろしいです・・。父はたしかにケチでした・。
私も外食というものをしたことがありませんでしたし、中華料理も寿司も焼き肉も初めて食したのは成人してからです・・。父の服装も悪かったですね・。
子供の頃団地から学校へ行く時に友達と歩いていたら友達が汚いオッサンが歩いてると前を指さし笑ってましが、そのおっさんは私の父でした。
最後の母の愚痴
連休に実家に帰郷する時に父は自分の実家には土産とか兄の子の服まで土産を持って帰ったそうですが、母の実家と私たち子どもは着た切りすずめでした・。
まとめ
母は結局生活力が自分に無いので離婚などは出来ませんでした・。年金もほとんどかけてないので月にもらえる額が2万円代です・。母の年金のことも父は「そんなもん知るか!」と言ってたと母は、ぐちります・。
「母がこの年になってすずめの涙程の年金額しかもらえないのは、母が、すべてを、ひとまかせで情報弱者で何も知らなかった結果です・。」
すべて自分で調べて判断するのが一番大事なのかもしれません・。世の中早く年金もらったら額が、低くなるなど貧乏人の、すぐほしい心理をついてきます・。その辺は忍耐力、自制力、自分で気付く力が必要です。
母は父が死んだ時、うれしかったらしいです・。最近では熟年離婚とか考える人が増えてるらしいですが、「私の父親は点数を付けると何点でしょうか・・?」
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